今年はいままで面倒くさかったりなんやかんや理由をつけて書いてこなかったこととかも、しれ~っと書いていけたらいいなーって思っちょります。

んで正直自分はいわゆる普通の人がちょっと苦手だなーみたいなところがありまして、仲良くなろうと思えば簡単に誰とでも仲良くなれる自信があるんですがあんまり友達的なものは欲しいと思わないんですよねー。

なんでじゃろって考えた時にいわゆる普通の人って概念について思考してない気がするんですよねー。

つまり概念について思考してないってのは世界を自分自身の言葉で定義してないっちゅーか他人(共同幻想)に自分の世界の大半を無自覚の内に支配されてるように自分にはみえるんですよねー。

そーいう人たちは北九州監禁殺人事件みたいにエゴと悪意の塊みたいに自意識が強くて他人を支配しようとする人間に結構あっさり洗脳されちゃって人殺しとか平気でする人間にもなっちゃう可能性が結構高いんじゃないかなーって気がするんですわー。

その逆も然りで宗教の教えに感銘をうけて聖人みたいな人間になったとしてやっぱそーいう人達も本質的には同じで問題は自分自身の本質を忘れ去って外に依存して救いを求めちゃうとこにある気がするんですよね。

んなもんで本物の自意識を発見してない人は自分的にはちょっと怖いわけですわ。

ここで自分が自分自身の内に目を向け始めたきっかけを書いていこうと思うわけです。

それは自分が高校生のときでした。今考えたら三年間絵とか全く描いてなかったなー。そのかわり部活にうちこんでましたわー。剣道部ね。

高校の時は中学の時より少しだけ鬱っぽい感じが楽になってましたが人生は100%諦めてましたし早く死ぬことだけが自分の希望だったんですが同時にずーっとホントのことを知りたいと思ってそれについてずーっと思考していました。

ホントのことってのは、なんで人間は生まれて死んでそれを繰り返してそこになんの意味があるんじゃろってこととか自分が生きてることに意味があるんじゃろーかとかそんなことです。多分思春期の子供はこーいうこと結構考えるんかもしれませんが大半はそのうちそんなこと考えてもしょーがないゆーてそのまま大人になっちゃう気がするんですよねー。

自分の一番の関心事はやっぱこれで何年も四六時中このことについて考えてたように思います。今でもよく覚えていますがそのうち一つの答えについにたどり着きました。

まず自分の内側的には客観的な自己分析を徹底的に繰り返して自分で自分自身というものをできるだけ把握する。で外側的には自己を完璧に投影できるようなアイデンティティをみつける。

これを徹底して追求していけば自己がどんどん強固になっていって悩み自体ないような完璧超人として人生を全うできるんじゃないかって結論に至りました。

でもその直後にこれがほんとーのことだってどうやって証明すんのよって疑問がすぐ浮かんできたんで次は絶対的な真理なんてあるんじゃろかって疑問について思考し始めました。

今思えば実存主義的な結論に至ってたのかもしれませんが今の思想とは真逆みたいな考え方ですわ。

もし人間を作った宇宙人や神様って存在が明確に目に見える形で存在してるとしてその存在が人間にとっての行動規範みたいのもんを明示してくれてたとしたらそれが人間にとっての真理にはなりえるかもしれんけど実際そんなもんおらんしなにを指針にするべきなんじゃろーかって少し悩みました。

んでその時ちょうどテレビで世紀末の詩っていうドラマやってたんですがそのドラマで自分はアホみたいに泣いて感動してたんですがそれが自分でも不思議で一度自分自身でドラマ見てるときにどんなとこに感動してなんで泣いてるのかを客観的に観察してみたんですよね。

そーするとどーやら人間が他人を思いやったりとか無償の愛とかそんな場面で身体の中心あたりにある心?みたいなもんが震えてそれが涙になって流れるって仕組みになってるって気づきました。

んでその時に自分はこの心が震えるってものを自分自身の真理の指針にしようってきめたんですよねー。

心が反応するのはいつも思考の埒外にあって思考よりも早くて正確な指針になりそうな直感があったのでそれを自分の宇宙においての真理って呼んでいいんじゃないかなーって思ったんですよね。

最近勉強したサルトルさんは対自っていう概念で人間って生き物は実存が先にきていろんなもんにアイデンティファイできるからこそ自由という呪いに罹ってるみたいなことwikiに書いとりましたが結局実存主義だからそこに精神や心みたいなもんは実存の後ろに置かれてる気がするんですよねー。

直感という概念については思考して思考し続けた先の無思考からくる自意識を超えた叡智みたいなもんだと感じています。

最近だと皿洗いしてるときかシャワー浴びてる時か自転車乗ってる時にビビッと来ることがあります。

それ以来自分の心が震える概念について思考して現在にいたるんですがそんな感じで自分の世界について内を観察し続ければこの共同幻想の世界から一歩身を引いて別の世界を同時に生きることもできるきがするんですよねー。

共同幻想に殺されるぐらいなら自分で自分の世界を作って生きたほうが人生楽しめそーだと思いませんか?

ってここまで書いてきてなんかあんまりまとまりのない感じにになっちゃいましたがまーそいうことです。

個人的には心とか精神とかいうもんに現代人はもうちょっと関心をむけてもいいんじゃないかなーって思うわけですわ。

勿論一番大事だと思うのはバランスなんですけどねー。