本物の学びとはなんでっしゃろ。って考えたときに自分は長い間「体験」だと思ってたんですが最近は体験と過度の集中だって思えるようになりました。

体験については昔書いた気がするんで過度の集中について書きますよん。

ってもこれは最近読んだ成瀬雅春さんの影響が大きいんですが過度に集中するってのは瞑想的な状態でいるってことなんですわ。

で瞑想的な状態になると自分の空間にスペースができてそこに自分に必要な情報が自動的に入ってくるようになるんですよねー。

よくスピリチュアルとか自己啓発とかで好きなことをしろってのはこういうことだと思うんですよね。つまり好きなことじゃないと過度な集中なんてできないからっていうね。

自分の体験談書いちゃいますが自分が小学生の五年ぐらいの時に一番鬱がひどかったんですけどそん時に自己否定しまくってて自分は生きてるだけで他人に迷惑をかける最低なごみ人間だってマジで信じ込んでたんですが漫画とかの絵を模写したときだけ他人に認めてもらえてたんで模写するときは極度に集中して描いてたんですよ。

んで今に至るまでそん時のような集中はもうできなくなりましたがそのおかげか自分の空間ってものが人より広い気がします。

空間が広いと自分に必要な情報は自動的にはいってくるよーな気がしないこともないです。

たぶんそーいうことだと思います。

あと祈りと感謝についてもなんの意味があんのか長年わからなかったんですが自分なりに答えがでたんで書いときます。

祈りは上で書いた集中と同じことだと思います。

感謝ってのは今の現状に満足してますよーっていう自分自身への宣言なんでそれによって幸福感や自己肯定感があがってポジティブスパイラルにアゲアゲ↑↑する効果アリアリってなことなんですわ。

つまり感謝が足るを知るってことだと思いマンモス。

知らんけど。